2018年度のプレゼミ(2年生の自主的なゼミ)の15回目=最終回です。
プレゼミの振り返りをしつつ、来年度に向けて伝えることを伝え、決めることを決めました。
Pick up:ゼミ長をどのように決めるか
決めることのひとつがゼミ長です。
どうやってゼミ長を決めるのがよいかは悩ましいところですが(他の先生もゼミをやる上での課題としてあげていました)、若林ゼミでは「くじやじゃんけんは最終手段であり、立候補や話し合いなどそれ以外の手段で決める」ということにしています。
その意図は、「明確な答えがないものについても、何かしら考えたり話し合ったりして欲しい」というものです(くじやじゃんけんでは何も考えないので)。
ゼミ生間の投票が採用されることが多く、今年も投票で5期生のゼミ長が決まりました。
組織やリーダーに対して考えを深めるいい機会でもあるわけですが、十分に意図が達成されているかについてはやや不安が残るところです。
「誰がリーダーになるか」や「どのような人がリーダーに適しているか」はリーダーシップ論のテーマでもありますので、時間を取って抽象的なところから議論してもよいのかもしれません(来年度からはそうしよう)。
若林ゼミのゼミ長の仕事は大してありませんし、そうゼミ生にも伝えています。
決められた仕事は「月一回昼休みに開催されるゼミの代表者会に出席する(自分が出席できなければ他の人が出席してもよい)」のみです。
にもかかわらず、ゼミ長となった学生がよくやってくれているなと思うのは、ひとつにはゼミ長になったことで「自分がやらなきゃいけないのかな」という意識が生まれるからなのでしょう。
学生に限らず世の中全般で、誰が音頭を取るかについては譲り合いをしてしまいがちで、もったいないことに仮に意欲や意見があっても差し控えられてしまうこともしばしばです。
一度ゼミ長に決まってしまえば、そういった遠慮や躊躇があまりなくなり、能力を発揮したり伸ばしたりする機会に恵まれるようです。
一言で言えば「立場が人を作る」ということです。
世の中には、多大な仕事や責任が伴うリーダー、高い能力が求められるリーダー、というものもあります。そういう時にはリーダーの選出について、熟慮されるべきかもしれません。
一方で、若林ゼミの場合には、ゼミ生にも伝えている通り「誰がゼミ長になっても大丈夫」なので、やりたい人や成長機会を求める人がやってもよいのかなと思います(「誰がやっても大丈夫」なようなメンバーであるということもポイントかもしれません)。もちろん、投票には投票、くじにはくじのよさがあります。
私も大学生の頃は能力の高い人(うまく指示ができたり全体を見れたりする人)がリーダーをやるべきなのではと考えていましたが、いまでは様々なスタイルがありえるということもわかっています。やや頼りないリーダーを支えようとすることで、周囲が力を発揮することもあります。
いまのところそんなことを考えながら、ゼミ長決めにとりたてて反映されてはいないような気もしつつ(このあたりは改善部分かもしれません)、私自身には具体的な意見はないので、話し合いを眺めていたり、投票の開票作業に従事したりするのでした。