※ この内容は、講義内容全体を忠実にまとめたものではなく、講義内容の一部分や講義内容に関連するトピックを取り扱ったものですので、ご注意ください。
「講義に対する共通認識を作る」ことを目的として、前回のリアクション(キャリアデザイン論の講義への学生からの期待(2019年度第1回) - 若林隆久@経営×教育×地域×育児)を題材に講義を行いました。
今回の講義で意図したことは次回以降の講義でお伝えしますが、ざっと下記のようなお話をしました(青字は、前回の「講義に期待すること」にうついてのリアクション)。
何もわかんないので1から教えてください
キャリアデザインという言葉がピンと来ないので、1から教えて欲しいです。
キャリアデザインについてそもそもあまり理解していないので、わかりやすく楽しい授業を期待します!
「わかりやすく楽しい授業」については努力しますとしか言えませんが、受講前なのでピンと来ないのは当然かもしれません。
この場合、この授業は何でないのかという観点から説明するとよいかもしれません。
企業の運営
企業の戦略、制度を学びたい
企業の経営戦略について学びたい
企業がどのような関係を持ち経営しているのか、どのような経営が優れているのかを学びたい。
経済学部が学んでいるような経営学をやって欲しい。
いわゆる経営学や経営戦略論とは異なります。企業側よりも個人側の視点に立った分野です。もちろん、人的資源管理(HRM: Human Resource Management)や戦略的人的資源管理(Strategic HRM)といった分野とは関わりが深く、講義内でも触れることがあるかもしれません。
授業の進め方についてもいろいろなご意見がありました。
受講者同士の話し合いなどで、他の人たちの変わった意見などを知ってみたい。
どれだけ時間を割けるかはわかりませんが、分野の特徴からも学習の仕方という点からも大事なことかと思います。
先生の体験談を交えた講義をしてほしい
使い方にもよりますが、体験談や事例やストーリーは伝わりやすいという利点があります。
一方で、学問は客観的な論理と事実に基づいたものという側面もあるかと思いますので、個人的な経験だけに基づいて語ることの危さは認識しなくてはいけません。
(学問的な講義であってもどのようなトピックやテキストを選択するかという部分に主観が介入するということに留意しつつ、)誰がどのような背景・立場・経験に基づいて話しているかを理解することは一般的に重要ですので、私のやや詳しい自己紹介も行いました。
先生の育児話
育児と仕事の両立
公私のバランスの良い人生設計について
ワークライフバランス
個人的な話(自分の育児話)であっても、一般的な問題(育児と仕事の両立やワークライフバランス)として捉えることは可能です(逆もまたしかり)。
一般化・抽象化と個人化・具体化ができることは重要な能力です。
就職活動(就活)の 流れ/進め方
就職活動/社会 で役に立つこと
就活で何をすればいいのか
まずは第一歩踏みたい
もっとも多かった意見が、就職活動に関する内容を期待する声です。
具体的には、下記のようなものが挙げられます。
自己分析/企業研究/業界研究/SPIのやり方
自分を見返すこととどの分野に向いているか
こういう人はこういう職業が合う
(長期)インターンは参加するべきか
就活においてなにか資格は必要か
特別な経験や資格がなくても就職できるのか
就職に有利な人材とは
就職の際、企業は何を重視しているかを学びたいです。
大学卒業後に就職する際にどんな能力が必要になってくるのか
社会に出た時にどのようなスキルが求められるのか
実際に高経の卒業生がいっているような企業め具体例として紹介してほしい
どうやったら、自分にとっていい進路に進めるか
理想の人生を送るために大学での授業や活動を通してできること
大学生として生きる術、社会に出て生きる術を勉強したい
一方で、反対の意見もありました。
具体的な就職活動については、キャリア支援センターが行っているのでその内容に被らないような内容の講義が望ましい。
なぜ大学でキャリアデザインを教えるようになったのか。人生設計ぐらい大学生なら自分だけでできると国が判断してもおかしくないのではと思った。
Question & Answer(質問と回答)
このような様々なリアクションを受けて、下記のような質問にリアクションしてもらいました。
Q1.大学卒業後の進路として、公務員と一般企業のどちらがよいか。
Q2.転職はした方がよいか。
Q3.キャリアデザイン論の講義で就活支援的な内容を取り扱うべきかどうか。
結果は下記のグラフの通りですが、Q1が半々であったこと(もっと公務員が多いと思った)とQ3の(予想通りではあるが)「取り扱うべきである」 の多さが個人的には目を引きました。余談ですが、「取り扱って欲しい」と「取り扱うべきである」の差がどの程度意識されているかは気にかかるところです。